竹内 槙優のイラスト

竹内 槙優(たけうち まさる)

株式会社シンビ 代表取締役/株式会社ZVA 代表取締役

MBTI
ENTJ-A(指揮官)
血液型
AO

1991年新潟県生まれ、早稲田大学商学部在学中からIT系3社のインターンに参加。転機としては同大学休学時、運用型広告マーケティング専門会社「アナグラム株式会社」(現:東証グロース7068 フィードフォースグループの子会社)に入社。創業期メンバーとして取締役就任期間含む約6年勤め退社後、東アフリカ大陸周遊を経て2018年独立。

趣味の領域で、NSCA-CPT・宅地建物取引士・貸金業務取扱主任者合格。2019年にはJBBFメンズフィジークの地方大会に複数入賞する程度には筋トレ・栄養学が好き。家族・組織・事業・不動産が好き。

2025年5月、縦型動画広告に特化したエージェンシー株式会社ZVAを創業し代表取締役を兼任。

略歴

※人となりを率直に知っていただきたいため、一般的な略歴よりもやや濃く記載しております。

1991年5月(0歳)

新潟県新潟市にて身体の弱い乳児として生誕。

2000年9月(9歳)

持病の喘息を抱えつつも、しばらく続く硬式野球にのめり込む人生がはじまる。いくつかの大会で入賞・優勝。

2004年3月(12歳)

家庭の都合で上京。以降約17年間を東京23区を転々として暮らす。

2004年7月(13歳)

周りの友人にだいぶ遅れつつも自宅にインターネットが導入される(が、回線速度が遅すぎたので当時のお小遣いのほとんどをネットカフェの3時間パックに注ぎ込んでいる)。趣味レベルでのWebサイト制作・チャットやSkype等の同期コミュニケーション・ブログでの情報発信・ヤフオクや楽天市場で100円でも安いお店を探し当てる買い物術にドハマりする。

※当時、親のアカウントでヤフオクの代理出品作業をしており、「とある商品が仕入れ値の20倍で売れた経験」がある。後のWebマーケターとしてのキャリアに大いに結びついたと語っている。

2007年4月(15歳)

趣味でやっていたWebサイト・ブログの読者さんと偶然同じ高校の同じ部活に入部してリアルで対面(今でもたまに会うよき友人)。インターネットの威力と面白さに感動する。ニコニコ動画・アメーバブログなどこの頃登場していくWebサービスのかなり初期のユーザーでもあった。

2007年10月(16歳)

肩のケガ・メンタルの弱さ・一応神宮球場で野球をできた、という満足感により硬式野球を引退(高校1年生秋)。あまり記憶がない空白期間である。自分は野球よりも「野球道具が好きだった」可能性が高い。

2008年(17歳)

再びインターネットに浸る。部活をやめて勉強もせず、空いた時間でデリバリー系寿司屋でのアルバイトを開始。同ブランドの都内屈指の繁忙店舗で厳しい店長に鍛えられつつ、会社が開催する「新規事業アイデアコンテスト」に『リーマンショックで世の中が暗い。ここは逆張りで多くの働く人々を救いましょう』という異例中の異例のプレゼン(暴論?)で突撃し、奇跡的に社長賞を受賞。人生初、10万円のボーナスを獲得する。

※この年に作った貯金の大半を大学受験関連の費用として注ぎ込むことになる。当時のバイト先には今でも客(注文者)としてお世話になっており、当時の店長さん・社員さん・アルバイトさんから多くを学んだ職場だったと追想している。

2010年(18-19歳)

早稲田大学商学部に入学、様々な出会いと荒波に揉まれつつ、インターネット系ベンチャー企業で活躍する大学生・学生起業家との出会いに恵まれ強烈な刺激を受ける。

2011年6月(20歳)

本格的にインターネット業界での修行(インターンシップ)をスタート。某東証一部上場企業の関連会社の運営・SNSマーケティングの受託等に携わる。

2012年8月(21歳)

Webマーケティングの世界に魅了され(&学費が払えなくなり)大学を一時的に休学。「人生の転機」とすべく、当時社員2名のアナグラム株式会社に長期のインターンシップとして、社長に迷惑メールスレスレの長文メールを送りつけ何度も頼み込み入社。

※当時偶然誕生日にいただいた返信メールは宝物としてスクショし保管している。

2014年4月(22歳)

アナグラム株式会社 執行役員に就任。

現場でクライアントを任せてもらいつつ大学に復学し、本格的なマネジメントにもチャレンジ。当時は6時-13時で出勤、14時-17時で大学、18時-23時また会社に戻り働くような毎日で多くの業種のマーケティングを担当し、本当にエキサイティングな日々であった。

※当時の広告運用は受注するたびにとにかく上手く改善できたため文字通り寝食忘れてのめり込んだ。

2016年4月(24歳)

アナグラム株式会社 取締役に就任。

徐々に現場から離れて、実務系全チーム統括・新チーム立ち上げなど、財務や法務の細かい部分以外すべてを担当させていただきました。

2018年3月(26歳)

アナグラム株式会社 取締役退任。

※入社時と比較し、2018年3月の退任時点で従業員数2名→38名・売上高規模も20倍以上に成長、円満に退社。仲間に大変恵まれ、ビジネスだけでなく社会人の礎となるたくさんのことを学びました。本当に感謝しています。

2018年(27歳)

1年間の充電期間を設定し休養&模索&フィジカル強化をスタート。アフリカ大陸へ観光・視察含む2度の渡航、趣味の筋トレ知識を活かして米国NSCA-CPT資格取得・パーソナルジム開業・エンジェル投資家としての活動を本能に従い実施。

2019年(28歳)

本格的に事業を再構築し始動・宅地建物取引士資格の取得。プライベートでは60日連続で「沼」を食べるという狂気を発揮し体脂肪だけで10キロ以上減量に成功。JBBFメンズフィジークの複数大会で入賞を経験。仕事以外の大半の時間をゴールドジムに費やす。令和初日に入籍。

2020年(29歳)

コロナ禍により事業環境や生活が激変。思い切って身軽になり福岡に移住。福岡の味覚により15キロ増量。不動産関連事業の開始により20代で初の不動産を購入。はじめてまとまった金額の融資を受け一棟収益不動産を購入。

2021年(30歳)

宅地建物取引業免許を法人で取得し不動産売買を開始。福岡での戸建やマンションの実需向けリノベーション再販にハマる。個人でも自宅マンションを購入しリノベーションを実施。様々な新規事業に手を出し迷走。社員0名業務委託ソロプレナー状態を抜け、福岡で社員を雇いはじめる。

2022年(31歳)

第一子を家族に迎える。世界No.1ピラティスブランドであるCLUB PILATESに加盟しピラティス事業を開始。西日本初出店としてCLUB PILATES赤坂薬院店をグランドオープン。

2023年(32歳)

第二子を家族に迎える。ピラティス事業3店舗・学習塾2店舗を構え、店舗・不動産方面へ多角化。

2024年(33歳)

ピラティス事業4店舗・学習塾3店舗へ拡大。モール通販事業を開始。比較的子煩悩。業務委託含め常時100名前後と関わる拡大。

2025年(34歳)

スペイン・イギリス・フランスに渡航し人生観が変わる。学習塾事業を売却。モール通販事業を撤退。グループ会社として縦型動画広告に特化したエージェンシー株式会社ZVAを創業し代表取締役を兼任。

2026年(35歳)

ピラティス事業を売却。不動産事業を一部分社化整理撤退。グループとしてマーケティング事業に再集中する意思決定を行う。天神ビッグバン後半の再開発目玉エリアである、ショッパーズ天神に本社移転。

代表者メッセージ

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

人物や会社を調べているとき、Wikipediaにたどり着き、略歴を読み漁るという体験が結構好きで、近い表現をしたくてこのテイストで作りました。定期的に見返し、毎年「いい略歴」を更新できるように、よりよく生きていきたいと思っています。

多くの諸先輩方が仰っているように、そしてAIの急浸透により、かつてないほどに変化のはやい時代になってきていることを実感しています。旧来の説などでは説明しきれないくらい欲求・幸福の形も複雑で、常にルールチェンジする現代。けれども、どうあれ人間は前を向いて、よりよく生きたいはずです。シンビのビジョンである「人類を本質的に強くし、前進させる。」はそこからきています。

また、「事業を通して、人を育む」というのは自身の実体験でもあり、会社という器を使って行いたい表現です。

多くの方に支えられ、見返りもなく助けていただき、やっと今日まで生きてこれました。今度は自分の番とばかりに、当分はこのビジョンで会社を通し、事業という表現方法で社会によりよい恩返しができれば何よりです。

既存事業はどれも現時点での「シンビ」を表現しつつ会社を存続成長させる手段でしかなく、今後も事業内容は流動的に変化するでしょうし、必要に応じて分社化や法人新設していくことも考えています。

成果の発揮・付加価値創造ももちろんですが義理人情を大切にできる経営者でありたいです。

代表取締役竹内 槙優

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